この患者さんは当院において10年以上の経過がある患者さんです。
初診時の状態ですが、多くの歯牙は既に根管治療を受けており、状態の良い歯牙はありません。このような患者さんに対する治療方針は、後から歯牙が次々とダメになるので、後から、対応できるプランが必要です。また、糖尿病で内科に通院しており喫煙を止めることが出来ない患者さんです。インプラント治療の長期安定の最大の大敵は糖尿病と喫煙ですが、そのような悪条件に対して、状況に応じて様々な対処法があるということを提示したいと考えこの症例を選択しました。
上顎前歯の付け根には下顎前歯の強い圧痕や、過大な力が加わった時にできると言われる、トタンの波板状の皺(しわ)が観察されます。
患者さんが初診で来院された2007年当時はAll-on-4(オールオン4)という治療概念は未だ存在せず、All-on-4(オールオン4)を可能にする為の角度付きマルチユニットアバットメントも存在しませんでした。インプラントは埋入後、下顎は3ヶ月、上顎は6ヶ月の間は負荷を与えないというのが、インプラントの治療原則の時代だったのです。
当初の治療プランでは既に欠損している左下にインプラントを埋入し、オッセオインテグレーションを獲得後、アバットメントに装着した仮歯で左側で咬めるようにし、次に崩壊が進んでいる右上にインプランを埋入し、左右両側の咬合機能を回復した後、上顎前歯部をインプラントに置換し、常に咬合高経と咬合機能を維持しながら、咬合崩壊を食い止めるという計画でした。
この時選択したインプラントは2000年と2003年の文献で一番成功率が高いと評価されたイノバ社のエンドポアインプラントを使用しました。
現在このインプラントはイノバ社がサイブロンデンタル社に吸収合併され製品自体は無くなりましたが、アバットメントやネジなどの接合規格がブローネマルクインプラントと同じである為、パーツ供給などに問題はありません。
インプラントの選択で最も重要なのは、ネジなどの規格が国際的にスタンダード規格に適合しているか?どうかという点です。
韓国製インプラントの多くは、価格は世界の一流インプラントの数分の1の安価ではありますが、ネジの規格が国際標準で無いので、万が一トラブルが起こった場合、大学病院や総合病院や国際レベルのインプラントを使用している医院での対処ができないのです。大学病院や総合病院や国際レベルのインプラントを使用している医院では一流の料理人が高価でも一流の素材しか使用しないのと同様に、価格の安い韓国製インプラントを積極的には使用しません。規格が特殊というのは日本製のインプラントも同様です。
一通り治療が終了したと思いましたが、右下第一大臼歯が根尖性歯周炎により強い痛みが出た為、抜歯しインプラントを埋入しました。
上顎前歯部と右下大臼歯部には当時、私が非常勤で勤務していた中部労災病院の口腔外科で使用していた国産のジーシーインプラントを使用しました。このジーシーインプラントのアバットメントとの接合規格もブローネマルクインプラントと同様の国際規格です。当時は、私はジーシーインプラントの開発に携わり、ジーシーインプラントのメーカー講師で講演をしていました。
ところが、ここで問題発生です。既に補綴物を装着し機能していた右上犬歯のインプラントが脱離してきました。
そこで、その場所にインプラント業界では最長の歴史があるノーベルバイオケア社のブローネマスクインプラントを埋入しました。インプラントが脱離した理由ですが、犬歯部ということで、大きな負荷がかかった為か?インプラント周囲炎の為か?糖尿病の為か?喫煙の影響か?は判断できませんでした。
さて、治療は終了し経過観察の時点で、問題を発見しました。上顎前歯部のインプラントを繋げたブリッジが動揺しているのです。
局所麻酔をしてブリッジを引っ張ってみると、なんとインプラントが抜けてきました。
インプラントを撤去した穴からは排膿を認めました。
撤去したインプラント表面には骨の付着は無く、プラークがべったり付着していました。
撤去したインプラントに隣接したブローネマルクインプラントは既に周囲の骨が溶けて無くなっておりスレッドが露出しています。
露出したインプラント周囲の軟組織を除去し、表面をβ-TCPのパウダーで清掃しました。
その後、2本のブローネマルクインプラントを埋入し、マルチユニットアバットメントを装着しました。
その後、マルチユニットアバットメントにはテンポラリーシリンダーを装着し、β-TCPのパウダーで清掃した露出したインプラント表面には血餅で固めたβ-TCPの骨補填材を置きました。
その後、縫合を行い、仮歯を装着しました。
9ヶ月後上顎前歯部に補綴物を装着し治療を終了しました。
治療が終了し、しばらくは問題なく使用できましたが、1年経過し、定期健診時に撮影したパノラマレントゲン写真で左側下顎インプラントに骨吸収を発見したので撤去しました。
今度は歯根破折と根面う蝕で、左上の歯牙を失います。
インプラントを埋入し、即時不可で仮歯を装着します。
しかし、1年後に右下クラウンの脱離がおこります。歯牙はう蝕が進行しており保存不可能だったので抜歯しました。しかも、口腔内を診査すると右上インプラントの動揺が出てきていたのでインプラントを撤去しました。
右上に3本、右下に2本のバイオホライズンズインプラントを埋入しました。今度は、左上の第一大臼歯と第二大臼歯のクラウンが脱離しました。
滅多におこるようなことではありませんが、右下第二大臼歯部に埋入したインプラントが術後1ヶ月で自然に排出されてきました。
インプラント表面には骨がまとわりついており、糖尿病の影響かと考えられます。左の写真は自然排出されたインプラントの表と裏ですがほとんどのインプラント表面に骨が付着しています。
左上に2本のバイオホライズンズインプラントを埋入しました。
インプラントが自然排出された右下第二大臼歯部に再度インプランント埋入を試みましたが術後のパノラマレントゲン写真とCTで確認すると、インプラントは埋めた位置より下に下がっており、下顎管に接触しているので撤去しました。おまけに右上に埋入した3本のインプラントは排出されて?位置移動が起こっていることが確認できます。
3ヶ月経過後のパノラマレントゲン写真ですが、左下第二大臼歯部のインプラントの周囲骨が吸収して無くなっています。右上のインプラントはまた位置移動が起こっています。
インプラント周囲炎が進行した左下第二大臼歯部のインプラントと右上第二大臼歯部のインプラントを撤去しました。
右上臼歯部に埋入されたインプラントに対し2次手術を行いましたが、前方のインプラントはオッセッオインテグレーションを獲得出来なかったのでインプラントを撤去しました。
また下顎前歯のう蝕が進行し保存不可能となった為、上も下もインプラントのみで全ての咬合を再建するボーンアンカードブリッジに変更することになりました。この症例ではエンドポアインプラント、ジーシーインプラント、ブローネマルクインプラント、Biometインプラント、バイオホライズンズインプラントなど様々なインプラントを使用してきましたが、全てマルチユニットアバットメントを装着できます。結果、CADCAMでチタンの塊から削り出された一体化されたフレームは同じドライバーでの着脱が可能になります。異なったインプラントを使用しても、結果、同一インプラントと同様に扱うことが可能になるのです。
上顎の全てのインプラントにマルチユニットアバットメントを装着しました。中央のインプラントは全てのインプラントを連結するには埋入方向が悪かったのでスリープとしました。
上顎のインプラントは全て補強戦で連結され、下顎の残存した前歯は全て抜歯しました。
下顎のインプラント埋入手術を無切開無剥離のコンピュータガイド手術で行う為、アバットメントを背の高いヒーリングアバットメントに交換しています。
今度は下顎の全てのインプラントを連結して荷重を与えます。
インプラントの自然脱落などが相次いだので、長期間経過観察をしました。
この症例は10年以上に長期に渡る症例ですが、次々と問題が起こってきた症例です。原因としては、喫煙習慣や糖尿病の影響が考えられます。喫煙習慣や糖尿病の場合、インプラント治療だけで無く、歯周病にも悪影響を与えます。動脈硬化が進行し抹消血管における血流が阻害され、免疫が低下し、骨芽細胞の活動が下がるなど、全ての点でインプラントが安定しないリスクが高くなります。残存歯の歯根破折やインプラントのディスインテグレーションが次々と起こり、その都度、インプラントの追加埋入が必要になり、最終的には全てのインプラントを中間アバットメントを介したボーンアンカードブリッジという形態の補綴に移行することになりました。
この症例から学ぶことは、インプラントは必ずしも当初の補綴方法では無く、補綴形態の変更が必要となるので、それに対応できるインプラントを最初から選択しておくことが重要です。ワンピースインプラントの場合は後から他のインプラントと連結してねじ止めスタイルの補綴に変更することができません。
また、この症例ではインプラント周囲炎で無くなった骨をイ、ンプラント表面を清掃してGBRを試みており、とりあえず骨はできましたが、文献的には後から作った骨はオッセオインテグレーションは得られていないとの報告があります。
やはり、喫煙と糖尿病の存在はインプラント治療や歯周病に対しては最大のリスクであり、喫煙の副作用は半端ないのです。何度も治療介入が必要となり治療費もトータルでは膨大な金額になってしまいます。患者さんができる最大の行為は日々の清掃と定期健診、そして禁煙と糖尿病のコントロール、そして、夜間のナイトガードの装着です。